栄正丸 船長村瀬 浩志さん
満56歳 香住生まれ 大学卒業と同時に漁師の世界へ。その後、30歳の時に栄正丸の船長に就任。船長のキャリアでは柴山に所属する船の中でも一二を競うご経歴の持ち主です。趣味はバイクで、大学時代には下宿先の神奈川県から香住までバイクで何時間もかけて帰郷したことも。最近はグーグルマップにも載っていないような山道をバイクで走るのが楽しみだそうです。
船長の仕事とは
船長とは、現場の最高責任者です。船上や洋上で様々な事案が発生した際に最終判断を下すのが船長の仕事です。しかし、その内容は非常に多岐にわたっています。
「船長の仕事とは?と尋ねると、やはり獲ってきた魚をいかにして高く売るかですね」と村瀬さんは即答されます。
そのためには、大市(たくさんの漁船が戻ってくる市)を避けることや他の港の状況、市場のニーズ、相場、天候、海況などありとあらゆることを考慮し、漁のスケジュールを組むそうです。
これは本当に骨の折れる仕事だそうで、時に船員からは不満の声が漏れることも。「でも、あらゆることを考えて、これで行く!と決めたからには船長判断で進めます。それが船長の役割ですから」と村瀬さんは話します。船上で孤軍奮闘されている姿が目に浮かびます。
孤軍奮闘は船を降りてからも続きます。他の船員が帰宅する中、船長は競りにも立ち会います。相場の動向や他の船の競り値などを確認します。こういった情報も魚価を上げる要因になります。
船に関係することであれば何でも
他にも、船員の教育や船のエンジン検査の立ち合い、新規機械の導入など船に関わることは全て船長の仕事です。「作業が効率化できればと思い、魚の選別機も早くから導入しています。それと同時に船員の負担を少しでも軽くできればとも」色々なことに思いを巡らせ、試行錯誤を繰り返されています。船員のこと、船のこと、漁業のことなど、あらゆる角度から検討を重ね、決断していくことこそが船長の務めになります。
網へのこだわり
漁師の仕事道具と言えば「網」です。船長は、これまでの色々な経験やノウハウをもとに網の改良や修理を行います。この作業は休漁中(6月から8月)の時期に船員とともに行うそうです。
網目の大きさにもこだわっているようで、試行錯誤を重ねた結果、今の大きさに落ち着いたようです。
漁師という仕事は大変 でも、その分、大きなやりがいも
「漁師の仕事は大変ですよ」村瀬さんは、はっきりと鋭い眼差しでこうおっしゃいます。では何が大変なのか。それは大きく分けて2つあるという。
1つ目は「船酔い」だそうです。「体質もあるけど、船酔いが原因で漁師を辞めざるをえない人もいる」と言います。
2つ目は「眠れない」こと。操業中はひっきりなしに網があがってくるので、作業の終わりが見えない。特に厳しく辛いのが「アカエビ漁」だという。「まず、大きさ別に分ける。そこからハッポーに詰めていく。口でいうのは簡単だけど、揺れる船上で行うには酷すぎる」と辛そうな面持ちで話される船長が印象的でした。一作業がだいたい2時間強。そして、それが終わると次の網へ。このサイクルが何度も。眠れない理由がよく分かります。
過酷極まりない仕事だが、その分、やりがいも大きい。「漁師が務まれば、何処でも務まる」と村瀬さんは断言します。その大きなやりがいや達成感を求めて、漁師は今日も日本海という仕事場に出ていくのでしょう。
これからについて
ご自身の今後について、村瀬さんにお尋ねしました。すると、「あと、10年は船長として頑張るつもりです。この間に、次の世代にバトンタッチする道筋をつけたい」 という答えが返ってきました。船員には常にまず自分が見本を見せ、こうしてやるんだぞ、と教えるそうです。この教育方針で、立派な「栄正丸の担い手」を鍛え上げていくと同時に、育てていかれるのだと思います。
記者のこぼれ話
取材を終えて失礼しようとすると、船長に呼び止められました。頂いた袋を開けてみると、中にはあのアカエビが。漁師のみなさんの苦労を噛みしめながら、美味しく頂きました。もちろん、尻尾も。